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南トルコ・アンタルヤの12ヶ月*** 地中海は今日も青し

南トルコ・アンタルヤの12ヶ月*** 地中海は今日も青し

●ヒッタイトの足跡を訪ねる旅―第1回


《ヒッタイトの足跡を訪ねる旅―第1回》 (2003年8月の旅の記録) 

  【ヒッタイト】インド・ヨーロッパ起源の民族であり、
         紀元前2000年代の初頭までに中央アナトリアの大部分を征服。
         ハリス河(クズルウルマック/赤い河)の畔に位置するハットゥッシャ―現在のボアズキョイが都。
         BC1640にかけて、アナトリア南部およびシリア北部にまで影響を広げたたために、
         エジプト人との抗争に突入することになる。
         ヒッタイトはBC1285、カデシュの闘いでエジプトを打ち破った。
         ヒッタイト文明の第1期は、BC1200には突然終焉を迎える。
         その滅亡は、エジプト人が「海の民」と呼ぶ謎の民族の急襲によるものとするのが通説である。
         ―中略―        
         しかし、ヒッタイトの影響力はそれで終わらなかった。
         ヒッタイトの名を冠する支配者を有する数多くの小王国が、
         シリアとトロス山脈一帯にかけて誕生した。
         キリキアにおけるそのような王国のひとつが、カラテペの新ヒッタイト王国である。
         (註:BC9-7世紀)
         ―中略― 
         帝国の崩壊の約500年後、ヒッタイト帝国の政治的影響力は完全に消滅した。
         新ヒッタイト王国はひとつ、またひとつとアッシリアに征服され、
         その民は他の民族に吸収されることとなった。       
          (※『BLUE GUIDE TURKEY』 第3版、P.526より抄訳)
         
         

私のヒッタイトへの関心はそう古いものではない。
ヒッタイトに関する知識といえば、ながらく世界史の授業と受験勉強で学んだ域を出なかったし、友人の結婚相手が大学でヒッタイトの研究をしていると聞いても、特別な関心が呼び起こされることはなかった。

ツアーではアンカラのアナトリア文明博物館は何度も見学したし、ヒッタイトの都ハットゥッシャ(ハットゥッシャシュ)と聖地ヤズルカヤにも一度だけ訪れたことがあった。
が、当時の私には、残念ながらひとつひとつの遺跡をじっくりと味わうような心的余裕も時間的余裕も持ち合わせていなかった。

トルコに引っ越してきてから初めてその名を伝え聞いた、ヒッタイトをテーマとした少女漫画界の長編大作、『天(そら)は赤い河のほとり』(篠原千絵、小学館)を日本から夫に買ってきてもらうようになってから(なにしろ全28巻に及ぶ大作なので、数巻ずつに分けて)、書棚にある古代史や遺跡中心のガイドブック(いずれもトルコ語)を引っ張り出して、ヒッタイトに関連するページを辞書を片手に読み始めるようになった。

古代史関連の書籍


2003年6月には、『HITITLER』という記録映画が劇場公開され、早速映画館に駆けつけた。
この映画がきっかけとなって、ヒッタイト人とヒッタイト帝国に関する書物を1冊でも手に入れたいと探し求めるようになったものの、アンタルヤにあってはなかなか難しく、また中にはヒッタイト語の研究書のような、私にはとっつきにくい書物しか見つからないこともあった。

ここが日本だったら、せめて図書館から、日本におけるヒッタイト研究の第一人者、大村幸弘(さちひろ)先生の著作(すでに絶版)や先生の手になる翻訳書を借りて読むこともできるだろうにと、歯軋りすることもあった。

そんななかで見つけた次の2冊の本が、当時の私の教科書となった。
・『HITITLER-Bilinmeyen Bir Dunya Imparatorlugu』(ヒッタイト―知られざる世界帝国) Birgit Brandau & Hartmut Schickert (翻訳Nazife Mertoglu) , arkadas社
・『HITITLER ve Hitit Caginda Anadolu』(ヒッタイトとヒッタイト時代のアナトリア) J.G.Macqueen (翻訳Esra Davutoglu) , arkadas社
とりわけ最初の1冊は、まるで小説のように面白く、「ああ、私にもう少しトルコ語の能力と翻訳技術があったら、私が翻訳したい」と思うほどに惚れ込んだ。
例えば、今から3500~2800年も前に生きた、ヒッタイト人の食事と経済について解説した章には『一着の服に3000リットルのワイン』なんてタイトルがつけられているのだから、面白くないわけがないのだ。

ヒッタイト関連の書籍


そうこうするうち、その夏は夫がアンタルヤに1ヶ月ほど滞在することになり、家族旅行のチャンスが生まれた。
ハットゥッシャやヤズルカヤへもう一度足を延ばし、以前は見逃していた遺構やレリーフを間近に見てみたいという思いはあれど、少し遠すぎた。

ガイドブックをつらつら眺めているうち、コンヤの西、ベイシェヒル湖畔にヒッタイト時代のモニュメントが遺されていることを発見。エフラトゥン・プナール(プラトンの泉)という場所で、ヒッタイトで崇められていた太陽神などが彫られたレリーフを伴う、聖なる泉のひとつだった地である。
また、コンヤの東約130km、エレーリに近いイヴリーズという村にも、新ヒッタイト時代の岩壁を掘り出して作られたレリーフによるモニュメントが遺されているとのこと。

このようなヒッタイト関連の遺跡と、アンタルヤの北部一帯に遺るピスィディアの遺跡のいくつかを辿りながら、合間に湖畔や渓流、洞窟で涼しい時を過ごす・・・・そんな旅のイメージを抱きつつ、私は夫の帰りを待ちわびた。

ところが、帰ってきた夫が口にしたのは、滞在が2週間に縮まったという現実。
私の中で温めていた4~5日をかけた家族旅行のプランは、当然のように短縮を余儀なくされた。
割ける日数は1泊2日。遠出のできないことは明白だった。

 つづく

(1)目指すはベイシェヒル湖




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